今日は家族と春休み。I駅にあるナンジャタウンという屋内遊興施設に行く。狭くて薄暗い路地に沢山のアトラクションが並んでいて、園内を巡って妖怪を倒したり、秘密の合い言葉を探し回ったりした。一ヶ月ほど前から、仕事の見通しがついたら三人で遊びに行こうと話していたので、今日それが実現して嬉しい。仕事の見通しがついた訳でもないのに、喜びの先払いをしてもらったようで、この後に借りを返せるか少し不安になる。
最近は疲れた顔ばかり見せていたせいか、相棒は私にリラクゼーションの施術料をプレゼントしてくれるという。悪いからいいよというと、もしかしたら生涯最後かも知れないと言う。この遊びが終わったら心中でもする気なのだろうか。ありがたく30分のドイツ式マッサージを施術してもらった。何もかもがもったいないという気がした。やはり分不相応の贅沢だったと思いつつ、施術ベッドの上でちょっと涙ぐんだ。
最近は疲れた顔ばかり見せていたせいか、相棒は私にリラクゼーションの施術料をプレゼントしてくれるという。悪いからいいよというと、もしかしたら生涯最後かも知れないと言う。この遊びが終わったら心中でもする気なのだろうか。ありがたく30分のドイツ式マッサージを施術してもらった。何もかもがもったいないという気がした。やはり分不相応の贅沢だったと思いつつ、施術ベッドの上でちょっと涙ぐんだ。
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朝、娘に家の留守番をさせて、電車を乗り継いでH町駅に行く。親しい友人と煙草を吸いながら、細々とした話を聞いた。焦ったり、何かを分析してはいけないと思うのに、彼女を変えたくなる。自分の解釈で彼女の世界を改善したくなる。それは本当に彼女を大切にしていることにはならないのだ。そんなに物事が一直線に良くなっていく訳がない。
なにかの過去があり、それが不動のものになっているかというと、それはそうではないと思う。過去は常に現在の態度によって更新されていく。その過去が何であったかを規定するのは、結局は一番最後にとる態度でしかない。
今日は彼女を励ましに行ったようでいて、彼女と苦痛を共有しに行ったのではなく、単に彼女の苦痛を彼女に投げ返してしまったのではないか。
なにかの過去があり、それが不動のものになっているかというと、それはそうではないと思う。過去は常に現在の態度によって更新されていく。その過去が何であったかを規定するのは、結局は一番最後にとる態度でしかない。
今日は彼女を励ましに行ったようでいて、彼女と苦痛を共有しに行ったのではなく、単に彼女の苦痛を彼女に投げ返してしまったのではないか。
今日は娘の大親友の送別会をする。自宅に大人と子ども合わせて10人ほどお客さんが来てくれた。手巻き寿司やお菓子など並べてにぎやかに過ごす。
女の子と遊べるのはこれが最後の機会で、娘たちはいつもと違う遊び方をしている。マンションの中庭に駆けだしていったかと思うと、家の傘を十本以上持ち出して、次々と広げだした。みるみる巨大なドームが形成されて、全員、その中にすっぽりと収まってしまった。窓から見るとカラフルな秘密基地のようだ。中で何をしているのか大人からは全く見えないのだが、一時間以上、彼らは帰ってこなかった。
基地から戻ってきた彼らは、妙に大人みたいな事ばかり言いながら、転校していく女の子を中心にして、帰ってきた。
女の子と遊べるのはこれが最後の機会で、娘たちはいつもと違う遊び方をしている。マンションの中庭に駆けだしていったかと思うと、家の傘を十本以上持ち出して、次々と広げだした。みるみる巨大なドームが形成されて、全員、その中にすっぽりと収まってしまった。窓から見るとカラフルな秘密基地のようだ。中で何をしているのか大人からは全く見えないのだが、一時間以上、彼らは帰ってこなかった。
基地から戻ってきた彼らは、妙に大人みたいな事ばかり言いながら、転校していく女の子を中心にして、帰ってきた。
H町駅の親しい友人からメールがあり、神経性の急性胃炎で入院したらしい。新しい職場でストレスにやられたのだろう。頑張ってたんだなと思う。とにかく長期戦で、出来る範囲で彼女の応援にまわろう。これで仕事が駄目になったと決まった訳ではないのだから。
今日の茨城は晴れ、お彼岸だったので義母と娘と三人でお墓参りに行く。車を出そうとすると、車体にきなこ餅のような黄色い粉がいっぱいついている。スギの花粉だ。林を見上げたら、枝から埃っぽい空気が不透明な光に透けて風に舞っていた。スギは絶対人間のいる方角に向けて、粉をまき散らしているに違いない。風向きが反対なのにこっちに飛んでくるもの。
車を運転しながら、まだ何も植えられない田んぼの光景を眺める。ここの春を9回眺めた計算になる。林と、田んぼと、青い空と。死んだ人たちは、みな静かだ。古い墓石が随分と沢山、花をふたつずつ乗せて並んでいる。
今日の茨城は晴れ、お彼岸だったので義母と娘と三人でお墓参りに行く。車を出そうとすると、車体にきなこ餅のような黄色い粉がいっぱいついている。スギの花粉だ。林を見上げたら、枝から埃っぽい空気が不透明な光に透けて風に舞っていた。スギは絶対人間のいる方角に向けて、粉をまき散らしているに違いない。風向きが反対なのにこっちに飛んでくるもの。
車を運転しながら、まだ何も植えられない田んぼの光景を眺める。ここの春を9回眺めた計算になる。林と、田んぼと、青い空と。死んだ人たちは、みな静かだ。古い墓石が随分と沢山、花をふたつずつ乗せて並んでいる。