家で掃除をしていたら、相棒が後ろから何か言いたそうな顔で見ている。二人でI駅にある映画館へ出かけた。予備知識のないまま『ミスト』フランク・タラボン監督のホラー映画を観た。映画館に無言で座っていると、不気味な効果音が静かに鳴っていて、この劇場が火事になったらどうしようかと不安になってくる。(以下、映画の内容に触れますので、知りたくない方はご覧にならないで下さい)
映画は、田舎町を襲った謎の嵐が皮切り。町の人達が大量発生した霧に閉じこめられて、正体不明の生物に次々と殺されてパニックに陥る話。スティーブン・キングが二十年くらい前に書いた中編小説がベースらしく、外部からもたらされた恐怖より人間心理の方に怪物が潜む、という解釈はキングの発明品だったのではと思う。恐怖の舞台を人間の内奥に移し替えた事で、ホラーは様々な発展を得ることが出来た反面、時を経るにつれて人間不信の物語へと顔を変えてしまい、次第に行き詰まってしまったのではないだろうか。地球温暖化などの問題が迫った二十年後の現在から見ると、異世界の扉が開いたという恐怖はすでにノスタルジックだが、少し前までは、こういう異世界のディテールをいかに巧みに創るかに労力を注いでいた筈の物語が、今では人間がいかにくだらないかということを、人間自身を使って表現する羽目になってしまった気がする。
評判の良い映画のようで、自分には合わなかったが、人によってはスリリングで飽きない2時間を楽しめる作品ではと思う。
映画は、田舎町を襲った謎の嵐が皮切り。町の人達が大量発生した霧に閉じこめられて、正体不明の生物に次々と殺されてパニックに陥る話。スティーブン・キングが二十年くらい前に書いた中編小説がベースらしく、外部からもたらされた恐怖より人間心理の方に怪物が潜む、という解釈はキングの発明品だったのではと思う。恐怖の舞台を人間の内奥に移し替えた事で、ホラーは様々な発展を得ることが出来た反面、時を経るにつれて人間不信の物語へと顔を変えてしまい、次第に行き詰まってしまったのではないだろうか。地球温暖化などの問題が迫った二十年後の現在から見ると、異世界の扉が開いたという恐怖はすでにノスタルジックだが、少し前までは、こういう異世界のディテールをいかに巧みに創るかに労力を注いでいた筈の物語が、今では人間がいかにくだらないかということを、人間自身を使って表現する羽目になってしまった気がする。
評判の良い映画のようで、自分には合わなかったが、人によってはスリリングで飽きない2時間を楽しめる作品ではと思う。
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哀れな夢から醒めて茨城。修行が足りなかった。今日は天気予報に雨マークが含まれていたから、午前中のうちに草刈り仕事を済ませた。義母と娘は畑にホースで派手に水を撒いている。しぶきが虹のようで、遠くから見ていたら奇麗だった。
午後に、3人で近所にある巨大ショッピングモールへ出かける。あてもなく歩く。買うものは町のスーパーでも買えるものだけど、広い場所で商品をあれこれと批評するのが目的のようなものだ。テレビ売り場の画質を見比べて、こっちが奇麗だなどと言い合うのも、テレビを買う予定がないのだから意味はないのだが、毎回やっている。
帰り際、出入口の近くでグランドピアノの生演奏をやっていた。一旦外まで出たのに、娘がどうしても今のを聞きたいと言う。つられて眺めると、ほんとうに美しい音で無名の女性がピアノを弾いていた。曲の合間に拍手が起り、その女性は誰にでも判る曲を、気持を込めて弾いていた。この人の仲間になれたら、こんな共同体の末に属したい、と強く願う。帰りに運転する車、細かい雨が降る。
午後に、3人で近所にある巨大ショッピングモールへ出かける。あてもなく歩く。買うものは町のスーパーでも買えるものだけど、広い場所で商品をあれこれと批評するのが目的のようなものだ。テレビ売り場の画質を見比べて、こっちが奇麗だなどと言い合うのも、テレビを買う予定がないのだから意味はないのだが、毎回やっている。
帰り際、出入口の近くでグランドピアノの生演奏をやっていた。一旦外まで出たのに、娘がどうしても今のを聞きたいと言う。つられて眺めると、ほんとうに美しい音で無名の女性がピアノを弾いていた。曲の合間に拍手が起り、その女性は誰にでも判る曲を、気持を込めて弾いていた。この人の仲間になれたら、こんな共同体の末に属したい、と強く願う。帰りに運転する車、細かい雨が降る。