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人間になればよかった...
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目が覚めたら、本当に頭のてっぺんから草が生えていた。今日の茨城は曇り空で涼しい気候。
庭で雑草にまぎれてしばらくしゃがんでいた。頭頂部の草がゆれて涼しい。わたしの頭はなにも考え出そうとはしなかった。目に映ったものは、植木と、枯れ草と、庭石だった。前世というものがもし存在したなら、私のそれは人間ではなかったことは確実だ。わたしは人間の記憶を何も持ってはいなかった。高らかに鳴る。天の和音。ああ、どこにでもいる鳥が、絵にならない感じで頭上を飛んでいく。
あかるく、でたらめで、最後にはふしぎで美しさがあるもの。世界で沢山の人が様々な時間を過ごしている。でも私の目はひとつの窓しか見られない。ああ、絵にならない鳥よ。あなたに勝手に色をつけていいか。……
夜ごはんのメインはコロッケとサラダ。サラダの具が足りなくて頭の草をむしりとって入れた。どうせむしっても幾らでも生えるのである。明日になれば、薮ぼうぼうになっているだろう。実でも種でもつけるがいい。
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つらすぎる相談から一夜明け、目が覚めるといつもの部屋だった。昨日の自分と感情がうまく繋がっていない感じがする。まるで別人の知らない人の身体に宿借りしているみたい。起きるなり手を洗う。水に触れると手が痺れる。
リラックスして過ごそうと思う。人生に思い悩む事も勿論大切だけど、上機嫌でいると色々な事が上手くいく。自分が男性ではなくて、女性として生まれたことを忘れないようにしよう。闘争心や、厳しさ、男性の運命とはきっと違う筈だ。放っておいたら宇宙の果てまでも行きたがるような男性の背負う宿命の重さと、自分を比べてみても、きっとうまくいかない。
私は近所の農協に行き、緑の草やら花やらでいっぱいのコーナーに初めて行ってみた。花の優しい色を何も考えずに楽しむ。隣の見知らぬおばあさん達がお喋りに夢中になっている。自分も身体の芯が和んで、ふっと緊張の糸が抜ける。このまま頭のてっぺんに草を生やして、この緑の園にまぎれて暮らしてしまいたい。
夕方、回復して茨城に出発。
穏やかさが一変した夜。
深夜にお母さん友達から電話あり、離婚相談の話で2時間。どうにも紐が絡まっている。どうやっても話の要点を整理することが出来ない。相談相手は次から次へと自分の紐をたぐっている。話を相手に聴いてもらう事で頭を整理するのだ。相手と一緒に悩んではいけないし、相手を映す鏡にならなければと思うのだけど、うまく誘導できない。同じ所を巡る、苦しい紐のからまり。
電話を切ってみると、自分の何もかも気力を使い果たしている。必要とされている助けには限りがないように思え、砂漠の砂地に水を撒いていたような無力感だけが残る。
あの人は電話を切った後どうするだろうか。自分には判らない。
今日は書く力が残っていない。そのまま日記にして、行こう。
こんな日はいつも明日ばかり思う。明日を軽々と越えていきたい。
今夜は頭がうごかない。パソコンの後ろでは「はやく、はやく、おふろはいろー」と10回位娘が催促してくる。おおお。無理。この二重生活をどう制御すればいいのだ。私は日記を落ち着いて心静かに書きたい。せかすな、せかすな……私は頭を抱えた後、天に向かって高く両手をあげた。体がグニャリと分裂して……アメーバのように……二人になった。よしっ。そっちのあざらし、子供は頼んだ。こっちは日記を書く。
今日は水曜でバレエの練習日。午前中は踊って過ごした。この頃は日記に夢中になって就寝前のストレッチを止めてしまったので、石膏で出来た身体みたいに堅い。こうなるとバレエでは立っている事すら難しくなる。例えば人が立つ時は膝も正面を向くのが普通だけど、バレエでは膝が真横にくる(アンディオール)。股関節から回旋している訳で、やっぱり普通の人間の出来る技ではない。石膏の踊りを先生に披露して終わってしまった。
昼は家で休憩。地域番組「よみがえれ!練馬大根」を見てぼんやり過ごす。
夕方からは、知人のタールマンのお宅に遊びに行く。生まれたばかりの赤ちゃんと初対面する為だ。タールマンが父になった様子は、なにか笑ってはいけない真面目な感じだった。一人目の赤ちゃん。サイはふられた。何もかもが新しく動き始めている。抱かせてもらうと小さい赤ちゃんはおならをした。いいなあ可愛いなあと思う。夫婦は赤ちゃんを交代で抱いていた。
帰り道に隣を見ると、七才の娘が巨人に見えた。おぬまさんと家族三人で外食して帰ってくる。
親しい友人から電話。今日は会いに行く事になった。電車を乗り継いで彼女の住むH町へ向かう。彼女は前回会った時よりさらに柔和な目をしていて、総じて上向きに生活が改善されていた。あの極彩色の悪夢の話は聞かれない。彼女とふざける些細な遣り取りが本当に嬉しい。
神様がいるかどうか判らないけれど、神様はその人の解ける分量しか宿題を持たせないのかも知れない。無限に謎を解けと言っているのではなく、一人一人、バラバラの分量の宿題を持たせて、この世に送り出すのかも知れない。
字の世界の簡潔さや清潔さに比べて、現実のこのどうしようもなさといったら、どうだろう。それらの問題は互いに絡み合い、まるで互いを必要とするかのように深く入り組んでいて、決して美しい解を見いだす事が出来ない。ある者にとっての解がある者にとっての障害である。皆の願いは折り合わない。それどころか、反感それ自体が生の躍動感にすらなっている。欠けていること、うまくいかないことが世界を回転させる動力となっている。
私は沢山の宿題を抱えたまま、迷いつつ、行きつ戻りつ暮らしている。今日の宿題だけはかろうじて解けた。彼女の笑顔が私の答え。
昔、小学校3年生の時、弟達とカンフーの練習ばかりしていた。長い棒を振り回して本気で闘ったり、水の中で何分我慢できるか耐えたりした。高い所から飛び降りる訓練の時は私も参加し、両膝が一週間くらい痛んだが、あれはおそらくみんな怪我をしていたのだろう。
そして私は、親に内緒で鎌を二丁持ち出したことがある。刃が錆びていて納戸の片隅に放置されていたものだ。私はそれを両手に持つと、カンフーしてる顔で勢いよく振り回した。恍惚の表情で振り回す私を制止する者は誰もいなかった。振り回して、二、三回大きく縦回転をさせたところで、鎌は私の右足のすねに突き刺さった。
あまりの痛さで動くことも出来なかった。肉にくいこんだ刃をようやく抜き取ると、すねには巨大な凹みが出来ていた。私は傷を手で押さえながらうめいた。親に鎌を持ち出した事がバレたら、絶対殺されると思った。怪我をしたことは誰にも言えなかった。
そして翌日、学校から帰ってきた私はリベンジしようと決意した。昨日の鎌を手に持つと、勢いよく振り回した。鬼気迫る表情で鎌を振り続けること30秒、縦回転をさせたところで、鎌は再び私の右足のすねに突き刺さった。
二回目は、前回の傷から位置が少しずれていた。……25年後の現在もあの痛さを覚えている。7歳の娘の足はつるつるに綺麗だ。私は鎌で作った二つの傷をいまだに足に残している。あまり親には内緒事を作らず、女の子らしい子に育って欲しいと願う。
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